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福岡高等裁判所 昭和37年(ネ)725号 判決 1963年4月26日

控訴人 佐賀市

被控訴人 古賀幸夫

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金四一九、六二二円及びこれに対する昭和三六年三月一六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを四分しその一を控訴人の負担としその余は被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す、被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

事実及び証拠の関係は、

控訴代理人において、

一、仮に「古賀由紀夫」と記載された投票が有効であるとしても、佐賀市選挙管理委員会がこれを無効と判断したことには過失はない。けだし投票をふまじめに記載せる場合は特定の候補者に対する投票意思を欠くが故に、無効とすべきものであるところ、右投票の文字は達筆で整然としており「幸夫」の記載をなしえない選挙人とは到底認められず、また無意識な誤記若くは宛字記入とも考えられないので、「古賀幸夫」と書くべきことを知りながら、あえて「古賀由紀夫」と記載したものと認められ、まじめに記載したものではなく、特別の意図の下にふまじめに記載したものであると認めたのは、あながち無理、失当な判断とはいえないものである。およそ具体的投票につき、これがふまじめな記載であるかどうかの判断は法律上の価値判断であつて、個々の投票の効力判定にあたり、機械的に識別できる基準はなく、個別的効力の判定においては解釈、判例上でも異論を生じることが多く、極めて微妙であつて、その判断は容易なものではない。故に、このような法律的価値判断はそれが明らかな誤りでない限り、たとえその結果がどうであろうと、選挙管理委員会がその識見と所信によつてなしたものである限り、過失の問題を生じる余地はないものと解するのが相当である。右「古賀由紀夫」なる票の効力の判断にあたり、右委員会においては、関係法規、先例、判例等を慎重に調査研究し、同県の記載をあらゆる角度から検討し、二回にわたり委員会を開き、十分な討議を経て、前掲理由により無効とする結論を出したものであつて、右の効力判定には不注意、怠慢その他なんらの過失もないのである。

二、仮に、佐賀市選挙管理委員会の右の判断行為につき、過失があつたとしても、これに基き国家賠償法上の問題が生じる余地はない。すなわち、

(イ)  国家賠償法は公務員が公権力の行使にあたり個人の権利又は法益を違法に侵害し、因つて生じた損害を賠償すべき場合を規定するものであるところ、選挙法は公職に就く者の選任の手段として、専ら公益性を有する事柄を規律し、なんら個人の法益を保護しようとするものではない。選挙権、被選挙権といえども個人が国又は公共団体の機関として有する権限であつて、個人としての権利利益ではない。したがつて選挙に関する法規に違反する公務員の行為があつたとしても、これにより公の利益を害することはあり得ても、個人の利益を害することはあり得ないわけである。故に個人がこれにより損害を蒙る筈もない。たとえ、選挙関係の訴訟において個人が訴訟費用等を支出したとしても右の損害ということはできない。

(ロ)  仮に同法が適用されるとしても、当選の効力に関する異議申立を棄却することは、既になされた選挙会における当選人の決定を確認し、そのまま維持することにすぎず、当選人の決定に関し、なんら新たな効果を生ぜしむるものではない。すなわち右棄却決定によつて新たな法益の侵害を生じる余地はないのであるから、これに基く損害を発生せしむるということはあり得ない。

三、仮に控訴人に賠償責任ありとしても、被控訴人主張の損害のうち、

(1)  弁護士費用は前記棄却決定と相当因果関係ある損害ではない。およそ、訴願においてはその性質上弁護士に委任する必要はなく、仮にその必要があつたとしても、弁護士に報酬として現実に支払つた金額がそのまま通常生ずべき損害となるものではない。

(2)  補助参加のために要した費用は損害とは認められず、仮に損害としても前記棄却決定と相当因果関係ある損害ということはできない。すなわち右費用については被控訴人が訴外古川松三から福岡高等裁判所昭和三四年(ナ)第一五号市議会議員の当選の効力に関する訴願裁決取消請求事件の判決に基き、訴訟費用の確定決定を得て支払を受くべきものであるから本件損害に包含されるものではなく、仮にそうでないとしても被控訴人の補助参加は必要なものではなく、被控訴人が任意になしたものであつて、これに要した訴訟費用は前記棄却決定と相当因果関係にあるものではない。

(3)  議員としての報酬及び手当は得べかりし利益ということはできない。すなわち被控訴人が議員たる地位を取得するには当選人の更正決定がなされなければならないところ、右更正決定には訴外古川松三の当選を無効とする決定又は同人を当選人とした選挙会の決定を取消す旨の決定が確定しなければならなかつたものである。現に右古川松三は佐賀県選挙管理委員会の同人に対する当選無効の裁決に対し、訴を提起し、該訴訟は上告審まで継続し、上告審の判決を俟つて、ようやく被控訴人を当選人とする更正決定がなされたことに徴しても、被控訴人の異議申立に対する佐賀市選挙管理委員会の前記棄却決定の頃から、被控訴人が市会議員に就任し、議員の報酬及び手当を支給された筈ということはできないわけである。

(4)  被控訴人の精神的苦痛なるものは慰藉料の対象となるものではない。すなわち、その主張する精神的苦痛なるものは、選挙制度に伴う当然の一般的不安感にすぎないので、慰藉さるべき精神的苦痛ということはできないものであり、仮に慰藉の対象となるとしても、佐費市選挙管理委員会の異議棄却決定(昭和三四年六月二〇日)は同年九月一〇日佐賀県選挙管理委員会の裁決により取消されているので、その間僅かに二箇月と二〇日間のことにすぎない。このような短期間の精神的苦痛は賠償に値する程のものではない。

と述べ、

被控訴人においては、

被控訴人の前記主張事実をいずれも否認し、且つ右一の点につき、佐賀市選挙管理委員会は被控訴人の異議申立に対し、選挙会において有効票として処理されていた「古賀由紀夫」と記載せる票を理由なく無効票となし、以て先きになした訴外古川松三の当選の効力を殊更に維持し、自己の面子を保持しようとしたものである、と述べ<立証省略>たほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。

理由

昭和三四年四月三〇日執行の佐賀市議会議員選挙において、「古川松三さん江」と記載された投票を訴外古川松三に対する有効投票と判定し、被控訴人に対する投票として「古賀重雄」、「古賀重男」及び「古賀としを」とそれぞれ記載された三票を無効と判定したことにつき、右選挙の第二開票管理者代居三郎並に右選挙の選挙長高取新作に、また被控訴人からの当選の効力に関する異議申立において、佐賀市選挙管理委員会が右「古賀重雄」「古賀重男」「古賀としを」の三票を有効と判断しなかつたことについて同委員会に、被控訴人主張の如き故意又は過失をいずれも認めえない理由については、原判決の説示するとおりであるから、右理由記載をここに引用する。

そこで、佐賀市選挙管理委員会が被控訴人の異議申立を棄却せる理由として、「古賀由紀夫」と記載した票を無効投票と判断したことにつき、故意過失が存したか否かの点について検討する。

前記選挙の結果、訴外古川松三が最下位当選者となり、同選挙会は同人の当選を告示したこと、被控訴人は右古川と〇、八四票の少差で落選と決定されたこと、そこで被控訴人が佐賀市選挙管理委員会に対し右古川の当選の効力に関する異議申立をなし、これに対し同委員会は昭和三四年六月二〇日、前記選挙会において被控訴人の異議事由を認容して右古川に対する有効投票として処理されていた「古川松三さん江」と記載せる投票を無効投票となしたが同時に他面被控訴人に対する有効投票として処理されていたところの「古賀由紀夫」と記載された投票を選挙人の意思がまじめに表現されていないという理由で無効投票と判断したため、結局右古川松三の当選の効力に影響がないとして、被控訴人の異議申立を棄却したことは、いずれも当事者間に争いない。

しかし、「古賀由紀夫」の記載は「こがゆきを」と読むのが最も自然な読み方であつて、通常これ以外の読み方は考え難いところであり、これが被控訴人「古賀幸夫(こがゆきを)」を指示するものであることは極めて明瞭であつて、ただ「幸夫」と書くべきところを「由紀夫」と書いてはいるが、この場合、右文字の相違を以て、被控訴人を選挙する意思を欠くものとは到底認められないので、右投票は被控訴人に対する有効な投票と認むべきものである。

したがつて、佐賀市選挙管理委員会が右投票を無効と判定して、被控訴人の前記異議申立を棄却したことは誤りであるといわなければならないが、右選挙管理委員会が故意に異議申立を棄却したと認むべき確証はない。そこで、右棄却決定をなすにつき過失が存するか否かを考えてみる。

およそ、過失の存否は判断の対象が何であれ、又は判断の性質が事実判断であれ、価値判断であれ、そのいずれたるかを問わず、該判断の形成過程のうちにこれを求むべきものである。したがつて、控訴人のいう法的価値判断においては過失の観念を容れる余地はないとの主張は理由がない。

ところで、本件においては「古賀幸夫」に対し「古賀由紀夫」という記載をふまじめな記載と認め、「古賀幸夫」に投票する意思を欠くものと判定したというのであるから、そこでは先ず右投票の記載自体から、ふまじめとみるべき事実を認め、更にこのふまじめな記載を特定の候補者を選挙する意思を欠く程度のものと認めたのであつて、この一連の判断過程は事実判断と法的価値判断を包含するものである。しかして、控訴人の主張によれば「古賀幸夫」と書くべきことを知りながら、特別の意図の下にふまじめに「古賀由紀夫」と記載したものであるというのであるが、成立につき争いなき乙第一号証並びに検証の結果によると、むしろ投票者は「古賀幸夫」の「幸」の文字を明確に記憶しなかつたため、「由紀」と書くものと思つていたか、又は「幸夫」の「幸」の文字を思い起さず「由紀」と宛字を書いたものと認めるのが、通常の判断であつて、例えば「幸夫」の「幸」を「行」「雪」又は「往」などと宛てた場合と特に異るところはない。右投票の筆跡(必ずしも特に達筆という程のものでもなく、且つ「ゆきを」という人名は漢字の上で固有の文字によつて限定されず、通常数多くの漢字を宛てることができるので、右筆跡から直ちに筆者の教養の程度を推測し他人の姓名の特定の文字そのものを知らない筈がないなどとはいえない。)や三島由紀夫なる作家がいることを参酌しても、右投票の記載のみを観察して、「幸夫」と知りながら、特別の意図を以て殊更に「由紀夫」と書いたものと推認することは無理であり、そのように推認するためには、右投票の記載のほかに、他の資料に依らなければならないが、投票の効力判定にあたり、その投票の記載外の資料に依ることは許されない。のみならずそのような推認の根拠たるべき資料もない。殊に「古賀」なる姓の記載に誤りはなく、三島由紀夫なる作家の氏名を知つていることは、かえつてこれによつて「ゆきを」と呼ぶ者に対し、その名の「ゆき」の文字を知らないか又は思い出さない場合、「由紀」の文字を宛てることを思いつかせる契機となつたものと推測されるだけで、投票者において古賀幸夫を指示せんとする意思が存したことは一層明瞭であり、そこにふまじめな投票と認めなければならない文字の持つ意味、態様その他の徴憑は全く存在せず、殊に古賀幸夫の「幸」の文字を「由紀」と書いた一事を以て、古賀幸夫に対する投票意思を欠く程ふまじめの程度が高いものとは到底認め難いところである。そうだとすれば、普通に注意して判断する限り、「古賀由紀夫」と書いてあれば「古賀幸夫」を選挙する意思があると認めるのが通常の判断過程であり、反対の判断をすることは全く異例のことといわなければならない。

原審及び当審証人本庄直次、同今泉三郎の各証言並びに当審証人楠木至誠、同高岸春一の各証言に依れば、佐賀市選挙管理委員会は判決例のうちに、ふまじめな投票を無効としたものが存したことを根拠として、右の如き異例ともいうべき判断をなしたことが認められるが、しかし前示のとおり本件投票の記載自体からこれをふまじめな投票と認めたことにおいて、通常人の俄かに納得できないものが存する。のみならず右の投票者において選挙する意思を欠く程度にふまじめと認めたことについては推理の飛躍がある。およそ投票の有効無効を判定する基準として、まじめ・ふまじめという基準そのものが既に問題であるが、仮に同委員会が類似事案に対する判決例を根拠として一般にふまじめと認めるべき記載である限り、その投票は無効とすべきものであると信じるに至つたとすれば、かく信じた点には必ずしも過失ありとはいいがたいとしても、少くとも本件投票の記載をふまじめと判断し、更に特定の候補者を選挙する意思を欠く程度に、その投票者がふまじめに投票したものであると速断したことには、判断の過誤がなかつたとはいいがたい。前掲各証言を綜合すれば、本件投票の事案に符合し、又は近似する事案を以て、ふまじめとした判決例(判決例中に現われた事案は何人がみてもまじめな記載とはみられない事案に対するものはあつても)は存しなかつたのであり、最終的には無效とすることにつき全員一致のかたちをとつたというものの、四名の委員中二名は有効と認め、殊に委員長今泉三郎は有効とする見解を内心保持していたが、結局確たる根拠もなくこれを放棄して全員一致としたことが窺われ、この点からみると必ずしも各自の有する識見又は確固たる信念に基く判定であつたとはいいがたいし、成立に争のない甲第一号証及び当審証人高岸春一の証言を綜合すれば選挙会では既に有効投票として処理され、且つ異議の対象ともされていないものを特に職権により取上げた事実が認められ、右諸事情及び弁論の全趣旨を併せ考えるとき、前記「古川松三さん江」と記載せる投票を無効とする反面「古賀由紀夫」と記載せる投票をも無効となし、以て選挙会の決定を結論において維持しようとする意識が働いたのではないかとの疑念さえ生じないではない。仮に古賀幸夫の「幸」を「由紀」と書いたことに多少のまじめさを欠く点があると推測した委員があつたとしても、そのことから直ちに古賀幸夫を選挙する意思がない程にふまじめな投票であるか否かはなお熟慮すべきであつたといわなければならない。

いうまでもなく法規を解釈し、これに基き事実を評価することは、一般に事実の存否だけを認定することに比して、一般と困難且つ微妙な場合が存し、必ずしも常に適正妥当な結論に達するとは限らない。したがつて、たとえ要求せらるべき注意義務を尽しても、なおかつ判断の誤りを生じることも少くない。故に再度の不服申立が許され、段階的な救済是正の方法が設けられ、また制度としてかかる救済方法が設けられている限り、国家賠償法による救済も自ら制限を受けるにいたり、したがつて、法的価値判断の過誤にあつては、当該判断機関として明白なる誤りと認められる場合、つまり通常の判断機関であれば、そのような判断はしないであろうと考えられる場合にだけ、国家賠償法一条一項にいう過失が認められるものと解するのが相当である。このことは選挙の効力に関する異議の決定にあたる公共団体の選挙管理委員会においても、いえることであつて、少くとも右に述べた通常の選挙管理委員会として要求せらるべき注意義務を怠つたため生じたものと認められる判断の過誤に限り、右の過失を是認すべきところ、佐賀市選挙管理委員会の本件決定の前後において、「古賀由紀夫」と記載せる本件投票を有効と判定せる同市選挙会の決定及び佐賀県選挙管理委員会の裁決に徴しても、通常の選挙管理委員会であれば、右投票をふまじめとして無効と判断することはなかつたであろうことが十分窺われること、および既に述べたように本件投票の記載において古賀幸夫を選挙しようとする選挙人の意思は明白であり、かかる場合その投票を有効とすべき公職選挙法第六七条の法意を顧慮せず、全く逆の方向のみを重視したかの観がある判断の推移を併せ考えるとき、佐賀市選挙管理委員会は本件投票の効力を判定する一連の判断過程において、通常の選挙管理委員会として要求せらるべき注意義務を怠つたため、「古賀由紀夫」と記載した本件投票を被控訴人に対する無効の投票と判定するに至つたものと認めるのが相当であつて、被控訴人の前記異議の申立を棄却したことはその過失に基くものと解せざるを得ないところである。

しかして、成立に争ない甲第一号証によれば、右の如く佐賀市選挙管理委員会が「古賀由紀夫」と記載せる投票を無効としたため、被控訴人の有効得票は八九一、一七票となつたが、右「古賀由紀夫」と記載せる投票を右有効得票に加算すれば、被控訴人の有効得票は八九二、一七票となつて、前記古川松三の有効得票八九二、〇一票より〇、一六票多いこととなり、右古川の当選は無効に帰し、反面被控訴人が当選者となることが認められる。

ところで、佐賀市選挙管理委員会が公職選挙法にもとずき、同市議会議員の当選の効力に関する異議申立に対し、これを審理し決定する行為は、佐賀市選挙を管理する機関の優越的な意思発動として、これを行うものであつて、国家賠償法第一条にいう公権力の行使にあたるものであり、佐賀市選挙管理委員会は控訴人佐賀市に属する地方公務員と解すべき選挙管理委員によつて構成され、前記行為はその意思発動によるものであるから、同法にいう公務員の行為にあたるものといわなければならない。したがつて、佐賀市選挙管理委員会が被控訴人の前記異議申立を過失によつて棄却した行為は、控訴人佐賀市の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて過失によつてなした行為ということができ、これにより被控訴人が損害を蒙つたとすれば、控訴人は国家賠償法第一条により、その損害を賠償する義務を負うものというべきである。

控訴人は、(イ)この場合、選挙法の保護する公益の侵害は起き得ても、個人の利益の侵害はあり得ないから、国家賠償法は適用されないと主張するけれども、選挙法が直接に個人の利益を保護するものでないとしても、これに違背する限り、その公務員の行為は違法性を帯び、反面当該公務員の右行為により他人が財産的損害を受けるときは、国家賠償法上の問題が起きることはいうまでもない。すなわち国家賠償法は公務員の行為により個人の利益が違法に侵害された場合(つまり公務員の具体的行為により個人の利益が侵害されたか否か)を規律するものであつて、公務員の行為が選挙法に違背するか否かとは、別異の面をとらえるものであるから、選挙法規が直接に個人の法益の保護を対象としないからといつて、同法にもとずく公務員の権力行使が適法性を失うと同時に、その公務員の当該具体的行為が反面において個人の財産的利益を侵害する結果を生じる場合は起り得る。たとえ、ある法規が公益の保護を第一次の目的とするものであつても、その具体化が公務員の行為に媒介される限りその実践的過程において個人の利益の侵害が起らないとはいえない。(ロ)前記異議に対する棄却決定は選挙会の当選決定を維持するにとどまるから、新たな法益の侵害を生じる余地はなく、これにもとずく損害の発生もないと主張するけれども、右選挙会の当選決定は前示のとおり違法であり、これに対する異議申立の審査において、佐賀市選挙管理委員会は違法な原処分を取消すべきであるにも拘らず、(訴外古川松三の当選を無効とすべきであるのに)これを取消さなかつた違法がある。これにより取消さるべき選挙会の決定の違法が維持され且つ被控訴人に対する損害が更に持続する結果となつたが、それは佐賀市選挙管理委員会が違法に右の棄却決定をなしたためであり、しかも選挙会の決定は当該選挙管理委員会にその取消を求むる以外には直接にこれを取消させる方法は他にないのであるから、佐賀市選挙管理委員会は被控訴人の異議の申立を棄却することによつて、右の取消さるべき当選決定を不法に維持し、そのため本来当選せる候補者としては、市議会議員たることができずこれがため損害を受けることになる限り、右損害を蒙るものといわなければならない。のみならず右選挙会と選挙管理委員会はいずれも佐賀市に属する公務員であり、被控訴人の当選決定ということに対し、その各行為はいずれも右の如く違法であるから、いずれかの公務員に故意又は過失の責任がある限り、因つて生じた損害につき佐賀市としては賠償すべき責任を免れないところである。したがつて、控訴人の右主張(イ、ロ)はいずれも理由がないものといわなければならない。

そこで、進んで損害の有無及びその数額について判断すべきところ、訴外古川松三が佐賀県選挙管理委員会を相手に訴を提起し、該訴訟に対し被控訴人が補助参加した費用及び慰藉料の点に対する判断を除けば、その余は当裁判所の判断も原審の認定し判断するところと異らないから、原判決の右部分に対する理由記載をここに引用する。(但し、原判決一八枚目裏一一行目に「甲第二」とあるを「甲第五」に、一九枚目裏一行目に「一二月」とあるを「一〇月」に各訂正する)、なお控訴人は、(イ)被控訴人が佐賀県選挙管理委員会に訴願するにあり、弁護士を依頼したことはその必要がなく、右弁護士費用は損害にあたらないと主張するけれども、弁論の全趣旨に依れば、右訴願につき被控訴人が弁護士に依頼したこと及びその弁護士費用として金一〇、〇〇〇円の債務を負担したことは、不必要であつたということはできず、右弁護士に委任し且つ右費用を要したことは事案及び被控訴人自身の事情に徴し相当と認むべきである。(ロ)被控訴人の議員としての得べかりし報酬及び手当の当選人の更正決定がなされる以前における分は前記異議申立の棄却決定により被控訴人がこれを失つたことにはならないと主張するけれども、前示のとおり被控訴人は本来当選していたのであり、右異議申立が認容されたならば、当然に更正決定がなされ、佐賀市議会議員たる地位を取得すべき状態にあつたのであるが、佐賀市選挙管理委員会の前示違法な棄却決定により右地位の取得は妨げられているのであり、かゝる関係の存する以上更正決定の介入により被控訴人の得べかり報酬等の請求権に影響あるものとはいえない、のみならず不服申立があつたかも知れないことを推測し、その確定と更正決定の遅延という偶然の事情を考えることは妥当でない。したがつて右異議申立の棄却の時から、右棄却決定により右市議会議員として得べかりし報酬手当を失つたといわなければならない。したがつて、控訴人の右主張(イ、ロ)はいずれも理由がない。

次に、被控訴人の精神的苦痛は選挙においてすべての候補者がいだく一般的不安感と異らないから慰藉料の対象とならないと主張するが、しかし被控訴人は折角当選しながら、佐賀市議会議員としての地位を取得してその政治的活動をなすことが全くできなかつたのであるから、選挙候補者の当選か落選かにつきいだく一般的不安感と同視することは妥当でない。しかし被控訴人の当初の精神的打撃の一部は県選挙管理委員会の取消決定より緩和されていること及び前示の如く市議会議員としての得べかりし報酬その他金銭的損害を回復する点を考えると、その精神的苦痛に対する慰藉料は金三万円を以て相当とする。

更に、訴外古川松三が佐賀県選挙管理委員会を相手に提起せる訴訟につき、被控訴人が右選挙管理委員会のため補助参加して要した訴訟費用が被控訴人の蒙つた損害にあたるか否かを検討するに、右古川は被控訴人が右選挙管理委員会に対し訴願をなし、その裁決の結果自己の当選が取消されるに至つたため、同人においてこれを不服として改めて別個の訴を提起したものであるから、右古川と右選挙管理委員会間の右訴訟は独立のものであつて、右訴訟に被控訴人が補助参加した費用は右訴訟内で処理されるべきものであり、佐賀市選挙管理委員会の被控訴人に対する前記異議の棄却決定と相当因果関係を有するものと解することはできない。したがつて、被控訴人が右補助参加に要した費用は佐賀市選挙管理委員会の前記行為によつて蒙るにいたつた損害ということはできないから、この部分に対する被控訴人の請求は失当といわなければならない。

してみれば、控訴人は被控訴人に対し訴願の際の弁護士費用一〇、〇〇〇円、得べかりし佐賀市議会議員の報酬及び手当(但し手当については請求にかかる四二、〇〇〇円の限度において)計三七九、六二二円、慰藉料三〇、〇〇〇円の合計四一九、六二二円及びこれに対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和三六年三月一六日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負い、被控訴人の本訴請求は右の限度において正当としてこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきものである。

よつて、これと相違する原判決はその限度において失当であつて本件控訴は一部理由を有するから、民事訴訟法第三八六条第九六条第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 池畑祐治 秦亘 平田勝雅)

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